こんばんは!
フルタイム勤務をしながら、家事をしながら、介護をしながら、通信制大学を卒業し燃え尽き症候群真っ只中の森﨑さくらです。
卒業してから、映画を見たり、本を読んだりしてます。
公認日本語教員の登録や認定心理士の申請、オンライン日本語教師の申込などやっておきたいことはしたのですが、それ以外が手につかない。。。
オンライン日本語教師は、登録して力尽きてます。
申し込みが来ないような金額を設定してみたり、、、
そうです。まだ、心の準備ができてません。
エリクソンのモラトリアム状態です。若いっ(笑)
すみません。壮年期、いや老年期でしょうか・・・。
そんな中、改めてオーストリアの精神科医であるフランクル先生が書いた『夜と霧』を耳読書しました。
今回で2回目の読了です。
1回目は、キャリアコンサルタント試験が終わってから耳読書しました。
キャリアコンサルタントの試験勉強で、フランクル先生のロゴセラピーを学び感銘を受け、ぜひ読んでみたいと思い合格後に読みました。
内容が、私の好きな映画『ライフ・イズ・ビューティフル』とそっくりだったからです。
そして、キャリコン合格から1年後大学を卒業し、夏川草介さんの本に出合い、激しく草介さんの作品に惹かれて『神様のカルテ』シリーズをすべて読みました。
その中で、なんと『夜と霧』が出てくるのです。
主人公である医師の栗原一止さんの奥さんであるはるちゃんの大切な本として登場します。
また、『臨床の砦』では、コロナ禍の緊迫した状況の中、ぎりぎりの精神状態の中であってもユーモアを大切にするお医者様も出てきます。
そして、『スピノザの診察室』は、スピノザの『エチカ』が出てきます。主人公の愛読書で、甥っ子も一生懸命に読んでいます。
『夜と霧』の中では「教育者スピノザ」との章があります。
あーっだから、『スピノザの診察室』を読んだとき胸に響いたんだ。。。と思いました。
夏川草介さんの本についてはオーディブルで、ほとんどの本を2回聞きました。
こんなに胸にしっくりと落ちてくる作家さんは今までになかったと思います。
夏川草介さんのすっかり虜になりました。
きっと夏川草介さんも尊敬しているであろうフランクル先生は、アウシュビッツの収容所で極限といえる過酷な強制労働をさせられ、それでも生きることに意味を見出し、ユーモアを大切にしました。
そして、過酷な労働をも意味を持たせ、自らを研究対象とし収容所の外に出たとき発表する未来を描きながら過ごしました。
アウシュビッツでフランクル先生はどのように過ごし、無事に生きて収容所を出てこの本を完成させたのかについて語られています。
アラフィフで入学した通信制大学を無事に卒業し、すっかり燃え尽き症候群となり、だらだらと自分語りをしているどうしようもない記事です(笑)。
『夜と霧』を読み返して
『夜と霧』は、アウシュヴィッツに収容されていた精神科医であるフランクル先生自身の体験記です。
極限ともいえる過酷な状況の中で、人は何を支えに生きるのか。
その問いに自らを被験者として向き合った体験記録です。
私が特に心に残ったのは、フランクルが収容所の中であっても「未来」に意識を向け続けていたことです。
彼は仲間と「一日に一つユーモアを言い合おう」と仲間と約束し、収容所の笑いを大切にしていました。
また、自分が精神科医としてアウシュヴィッツでの体験を学会で発表している姿を想像していました。
今経験している苦しみに意味を持たせ生きることをあきらめないためです。
未来に果たすべき意味や責任を見出すことで、現在の苦しみをただの苦しみで終わらせなかったのです。
さらに印象に残ったのは、愛する人の存在です。
たとえその人が目の前にいなくても、愛する人を思う気持ちは生きる力になると語っています。
ある人は「家族が待っている」
ある人は「まだやり残した仕事がある」
そんな思いが、過酷な状況を耐え抜く力になることが描かれていました。
フランクルは、たとえ死を迎える状況であったとしても意味を見出そうとしました。
たとえば、自分は過酷な死に方をするかもしれないが、愛する人が幸せであればよい。
自分の死をもって、愛する人には幸せな人生を送ってほしいと願うことで、自らの苦しみにも意味を持たせることでその人は幸せであるという考え方に共感しました。
また、『夜と霧』には「教育者スピノザ」という章があり、
「そこが収容所であっても、何とか未来に、未来の目的に再び目を向けさせることが、精神的に励ます有力な手立てとなる」
という趣旨のことが書かれています。
フランクルはこれを「未来に逃げ込むトリック」と表現しています。
未来に意味を見出し、未来を支えにして今を生きる。
それは決して現実逃避ではなく、人間に与えられた大切な力なのだと思いました。
一方で、私にはもう一つ大切なことを教えてくれた存在があります。
それは亡くなった愛犬です。
愛犬は最期まで「今」を生きていました。
過去を悔やむことも、未来を心配することもなく、目の前の散歩やご飯や家族との時間を全力で生きていました。
私は愛犬から、「今を一生懸命に生きること」の大切さを教えてもらいました。
ただ、私は人間です。
人間には未来を思い描く力があります。
未来を見据えることもできる。
今を味わうこともできる。
どちらも自分の都合のよいように扱うことができます。
考えることができる。
それが人間の強みなのだと思います。
だから私は、その力を人生の糧として使いたいと思います。
自分の人生をより良く、より過ごしやすく、機嫌よく、楽しく生きるために使いたいと思います。
私の最終的な目標は、自分の死を子どもたちへの最後の教育にすることです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、フランクル先生のいう自分の死に意味を持たせることと一緒だと思いました。
「人は最後まで機嫌よく生きられる」
「人は最後までやりたいことに挑戦できる」
「人生には意味を見出すことができる」
そんなことを、自分の生き方を通して伝えたいのです。
「人生は楽しかった。」
やりたいことをやり切った。
そう言って人生を終えたいです。
そして、その姿を子どもたちに見せたいと思っています。
それが子供たちへ私の最後のプレゼントです。
最近、私の大好きな作家である 夏川草介 さんの作品を読み返していて気づいたことがあります。
フランクルの思想は、夏川作品の中にもたくさん散りばめられているように感じます。
まず、『神様のカルテ』では、はるちゃんが『夜と霧』を大切な本としてお友達にお貸しします。
『スピノザの診察室』では、スピノザの思想が物語の根底に流れています。
『臨床の砦』では、コロナ禍という過酷な環境の中で、ユーモアを忘れず、自分の弱さや臆病さも受け入れながら生きようとする姿が描かれています。
改めて振り返ると、夏川作品のあらゆるところにフランクルの思想が息づいているように感じます。
苦しみをなくすことはできない。
しかし、その苦しみに意味を見出すことはできる。
未来を思い描くこともできる。
今この瞬間を大切に生きることもできる。
そして時にはユーモアを忘れないこと。
『夜と霧』を読んで、私はそんなことを改めて学びました。
愛犬が教えてくれた「今を生きること」と、フランクルが教えてくれた「未来に意味を見出すこと」。
その両方を大切にしながら、これからの人生を歩いていきたいと思います。




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